はじめてのおつかい

小学3年の頃、父が耳の病気で手術を受けることになった。私が通っていた大学病院ではなく、その先にある山のふもとの病院だった。地元の耳鼻科医がそこに異動になったから追いかけたのだ。

電車とバスを乗り継いで2時間くらいかかる。バイクでもそれくらい。自動車を運転できるのは父だけで、母はバイクしか運転できなかった。入院の際は親戚のおじさんが送り迎えをしてくれたのだけど、ソレ以外の日々の見舞いは母がバイクを飛ばして通っていた。

そんな父の元へ、土日を利用して付き添いお泊りを何度かしたことがある。一度目は、漫画を買ってもらった。家に居ても姉とケンカするだけだったから、土曜の見舞いの時、母に頼んで連れて行ってもらい、一晩泊まってくる。

土曜日曜は親戚なんかも見舞いに来るから、一人で付き添ってるのか偉いなーなんて褒められて気分が良かった。

父の手術が終わったあとの日曜に、本家のおじ様が来ることがわかった。おじ様は苺が好きだから、ちょっと買ってこい、と言いつけられた。といっても苺が売ってるお店は、この時のような本屋ほど近くはなかった。

病院の屋上から、その店までの道順を聞いた。本屋は左に出るが、今度は右に出る。しかも大通り沿いを歩かねばならない。今思えば、苺など無くたって構わないしおじ様は怒りはしなかったろうと思うのに、見栄っ張りだったな、と思う(笑)。病院を右に出たら信号のある交差点を左に曲がり、ひたすらまっすぐ歩くと横断歩道橋がある。それを使って向こう側に渡ればスーパーがあるから、そこで苺と、余った苺を入れておくタッパーウェアを2つ買ってくるよう言いつけられた。

教えられたとおりに歩き、横断歩道橋を使って向こう側に渡る。通りは二車線で、トラックやダンプカーが多く行き交っていて、横断歩道橋が無いと到底渡れない交通量だった。自宅周辺は一車線の道路があるだけで二車線道路などはじめてみたから車の多さに圧倒されたのを覚えている。地元には無い大きなスーパーで、苺とタッパーを買った。そうしてまた来た道を帰り、翌日、おじ様に苺を出した。余った苺は私のおやつになった。

あとで聞いたが、父はこの時とても心配で、病院の屋上から私の歩くのをずっとみていたのだそうだ(笑)。高い建物が少ない時代だったから病院は地域で一番高く、スーパーまでの道が見えたんだそう。言われる方は不安でたまらなかったが、言う方も不安だったのだな。

そんな感じで、はじめてのおつかいが終わった。

今はとても便利になったから、グーグルストリートビューで、今の病院付近を見てみた。病院はまだあって、外観も変わっていない。駅に向かう道もあの頃のままだけど、本屋がなくなっていた。もっと、小さなお店が並んでいて賑やかだった気がするのだけど、閑散とした通りになっていた。本屋があったあたりは駅のロータリーとなって、開発されていた。

変わるものと変わらないものが混在していて、懐かしいやら切ないやら…。

あ、そうそう。この病院があるあたりは、後にまた訪れる事になる縁のある地域なのだけど、それはまた別の機会に…。

24日

昨日もだったけど、今日も過ごしやすい気候で気持ちがいい。昨日より青空が少なくて雲が多いのだけど、日焼け的にはこれくらいがちょうどいいかもしれない。

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14日

ここ数日は実家で過ごしている。父が、大学病院に入院してカテーテルアブレーションを受けたのだ。その間は母が一人になるのと、母は移動手段が無くなるのとで、帰省させてもらった。

父の受けた治療はこうだ。足の付け根から太いカテーテルを数本挿入し、心臓付近にある血管内部にカテーテルを送る。このカテーテルの先端に付いたバルーンを熱くして周辺血管壁にも熱を加え不整脈を起こす信号を断ち切る…という。すごいなあ。最初にこの方法を思いついた人はすごいな。そしてこれを実現しちゃうってすごいなあ。

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11日

明け方、日の出の頃は晴れていたのに、出かける頃になったらざあざあ降り。少し肌寒いので重ね着をして病院へ向かった。

途中の道路は空いており、信号も青でスムーズ。駐車場も一階の近いところに停められた。ツイてる☆運が良い☆

受付もスムーズで、数分の待ちを経て、病棟へ上がれ、との指示をもらった。病棟は廊下とドアで隔たれており、インターホンで患者家族であることの申し出をしないと開けてもらえない。少しおっくう(笑)

とても開放的なナースステーション前を通過して、大部屋へ案内される。写真でみるよりかなり狭くて驚いた。あれで1620円/日取るの…狭いし暑苦しいしでなんだか窮屈だった。でもまあしょうがない。

担当ナースから一通りの説明を受け、父は着替えて次の指示を待つ。その間、待合スペースで持ってきたおにぎりを食べて腹ごしらえ。先生の話は19時すぎる、ということだったから、それまでここにいるのか…と思ったけれど、何やら看護師さんたちが調整をとってくれ、14時頃に先生からの話を聞くことができた。

麻酔薬のこと、翌日に行われる内視鏡の検査のこと、治療の方法や合併症に関する事前説明などを聞いて、承諾をし、おわった。術後は6時間、絶対安静らしい。頭を上げることもまかりならん、ということで、お家の方はおにぎりやパンなどを用意してきてください、ということだった。小さめのおにぎりを何個か作っていこう。

今日は先生の話のほか、心電図やいろいろな検査も受けることになっているそうで、だけどベッド周囲は狭くて家族が座っていられるわけもなく…待合スペースを陣取って居続けるわけにもいかないしで、予定より早く帰宅してきた。雨は相変わらずざあざあ降りだったけど、順調に帰宅。

明日は朝から同じ治療を受ける方がいるので、その方が終わったら父が呼ばれることになっている。午前10時〜11時くらいになるだろう、という説明だった。明日も今くらいには帰って来られるのかも?

 

6日

今日は、父方の祖父の命日なんだそうだ。49歳でこの世を去ったらしい。…なんだそうだ、と書いたのは、わたしが生まれるずっと前、父が8歳の頃に亡くなったから全く知らなかったからだ。大晦日にご先祖様の命日があるのは教えられてきたけど、祖父の命日は初めてくらいに聞いたかもしれない。

どんな方だったのかね、父は8歳だったからあまり覚えてないんだろうな。8歳で父親を亡くし、そのあと母親を亡くし、祖母のめんどうを見ながら働きに出て妹達を嫁に出したんだ、たいしたもんだと思う。学校に行きたかったけどお金も無いし、そういうわけで妹弟達と祖母を食わしていかなきゃならないから諦めたんだとは聞いたことがある。

そういう事があるからなのか、今でも何かを学ぶことは好きなようで、ネットで野菜つくりの色々を調べてはノートに書き写しそれを畑に反映させているし、78歳の今も、パソコンで使う新しいソフトを勉強しようとしていて、尊敬する。何歳になっても学ぶ気持ちは持っていていいし、そうやって学びたいことを自分で見つけていきたい。